パンデミックのグローバル史研究文献紹介5:
Yaron Ayalon, Natural Disasters in the
Ottoman Empire: Plague, Famine, and Other Misfortunes, New York: Cambridge
University Press, 2015.
本書は、オスマン帝国における自然災害、飢饉、地震、そして感染症が、いかに政治や宗教に影響を与え、ひいては共同体や個人を変容させたのかということを提示している。扱われている時代、地域は章によって多岐にわたっている。以下ではそれぞれの章で述べられている内容の概略を示しておきたい。
第1章では、1346-53年にヨーロッパと同じく大流行した黒死病(Black Death)が、オスマン帝国の形成に一役を買うことになったことが示されている。つまり、これをきっかけとしてビザンツ帝国の求心力が低くなり、他方オスマン帝国が新しい秩序を形成することが可能になったことが述べられている。さらに、著者によれば、黒死病の影響力は、ヨーロッパ諸国とオスマン帝国で違いが見られるという。つまり、ヨーロッパでは、黒死病をきっかけとして大きな影響力を持つ主体が、教区から都市の権力へと移行するが、オスマン帝国では宗教的権力が失われることはなく、また都市は自立化するようになったことが示されている。
つづく第2章では、特に17世紀半ばダマスカスで起こった地震にかんするケーススタディを通して、16-17世紀の自然災害について考察される。そして、第3章では17-18世紀のシリアにおいて、ユダヤ教徒とキリスト教徒の共同体それぞれがどのように災害に対応していったのかが検討される。その後、第4章でオスマン帝国におけるオスマン帝国におけるさまざまな時代で個人がいかに疫病に対処したかということが示されるが、この章の137頁から一部だけ黒死病に関する記述が見られる。最後の第5章では、1855年にブルサで起こった地震、そして1890年代に流行ったコレラがイスタンブルの都市計画などに大きな影響を与えたことが示される。
本書のなかで、疫病に関わる記述があるのは主に第1章の黒死病にまつわる部分と第5章のコレラについての部分であるが、そこで論拠として用いられているのは、オスマン語、アラビア語、イタリア語などで書かれた文書史料である。さらに詳しく言えば、アラビア語とオスマン語の年代記や条約文書、そしてヨーロッパ人が残した旅行記である。また、全体を通して、社会科学系の研究をはじめ、様々な研究蓄積に依拠しているが、これらの情報も疫病にかんする情報を集める上では大いに参考になると思われる。
最後に補足的情報を付け加えておくと、本書のイントロダクションでオスマン帝国研究史の整理がなされているが、これは2015年までのオスマン帝国史研究の大きな潮流をつかむ上で有益なものとなっている。著者は、オスマン帝国史研究とくに社会史の分野において有益なものになると強調している。社会史研究において、疫病というテーマを扱う意義を見るうえでも読者の興味をそそる内容になっている。
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