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 パンデミックのグローバル史研究文献紹介3: Şevket Pamuk and Maya Shatzmiller, “Plagues, Wages, and Economic Change in the Islamic Middle East, 700-1500,” The Journal of Economic History , vol. 74, no. 1, 2014, 196-229. まず、この論文の扱う時代、地域、分析対象を示しておく。本論文では、 700-1500 年という歴史研究としては非常に幅の広い時代が扱われている。分析される地域は大きく分けて 3 つあり、マムルーク朝期に栄えたカイロを中心とする地域、アッバース朝期に繁栄したバグダッド(イラク)、そしてオスマン朝期のイスタンブルである。また、主な分析対象となっている史資料は、エジプトに関するものでは①パピルス (7 − 10 世紀 ) 、②ゲニザ文書( 11 − 13 世紀)③ワクフ(宗教的寄進)文書( 13 − 15 世紀)④経済史の大家による研究書 [1] であり、また、イラクに関するものでは、①パピルス( 8 − 9 世紀)②同時代の地理書と年代記( 9 − 10 世紀)である。 続いて、この論文の要旨と示されているデータの紹介をしておきたい。この論文の中心課題とされているのは、アッバース朝以前の時代からオスマン帝国の最盛期付近に至る時代における、実質賃金の変遷を明らかにすることである。この考察で注目すべき点は、実質賃金の変遷のプロセスにおいて、疫病が大きな役割を果たしているということにある。特に影響力が大きかったとして挙げられているのが、主にウマイヤ朝とアッバース朝の頃にあたる 6-9 世紀に猛威を振るった「ユスティニアヌスのペスト」( the Justinian Plague )と、 14 世紀以降に大流行した黒死病( the Black Death )の 2 つである。 これらを踏まえて、以下のような結論が導き出されている。例えば「ユスティニアヌス のペスト」の場合、この疫病の流行後実質賃金が比較的長期間にわたって上昇したことによって、生産力が向上することになった。それこそが、「イスラーム黄金時代」と呼ばれるアッバース朝の繁栄を支えたと指摘されている。続く時代まで、ヨーロ
 パンデミックのグローバル史研究文献紹介2: Guido Alfani (Translated by Christine Calvert), Calamities and the Economy in Renaissance Italy: The Grand Tour of the Horsemen of the Apocalypse , New York:  Palgrave Macmillan,  2013 (原著,  2010 ) . 本書の対象となる時代は「長い 16 世紀」のイタリアである。より正確には、 1494 年のシャルル 8 世のイタリア侵攻から 1629 年までの時代で、 1629 年は、 14 世紀の黒死病以降、最悪の被害をイタリアに与えることになるペストが登場する前夜である。地域はイタリアであるが、詳細な分析はとりわけ北イタリアに限定されている。著者の関心は、「長い 16 世紀」にイタリアを襲った戦争、飢饉、疫病(複数形の Calamity )が、経済や人口(移動)に与えた影響を考察することにある。  本書の特徴の一つは、資料収集の過程で作成されたデータベースである。このデータベースは、洗礼記録 baptismal records から抽出されたデータである。洗礼記録は人口に与えたペストの影響の証拠として新たな統計証拠を提供するものとして利用される。データベースは、北部イタリアの洗礼と埋葬に関する記録(洗礼に関しては、当該エリアの全人口の 9-12 %に相当するサンプル)を基に作成された。著者によれば、「統計の時代」や戸籍登録制度(導入は 19 世紀初頭か)以前の時代では、教区単位で残された洗礼記録が最も重要な資料である。この記録が義務付けられるのは 1563 年に終了するトリエント公会議であるが、洗礼記録に関してはそれ以前から(場合によっては 14 世紀から)入手が可能だという。死者の数を直接示す埋葬記録は、 16 世紀にはまだ記録されること自体がまれで( 1613 年にカトリック全教区に埋葬記録を義務付けた Rituale Romanum (ローマ儀礼か)以前、埋葬に関して完全なデータの入手は不可能)、洗礼記録を補完する資料として利用されている。そのほか文書館の資料(イヴレーア及びノナントラの例など)を利用している。なお中部、南部イタ
  パンデミックのグローバル史研究文献紹介1: Nükhet Varlık, Plague and Empire in the Early Modern Mediterranean World: The Ottoman Experience , 1347-1600, 2015, Cambridge.  本書は、先行研究の次の 5 つの問題点を克服することを目指す。 (1) 疫病の歴史がヨーロッパ中心に語られてきたこと、 (2)14 世紀中葉の黒死病の発生を対象とするものが大半であること、ゆえに (3) なぜこの伝染病が長く存続したのかについて説明されてこなかったこと、 (4) キリスト教社会とムスリム社会の間の差異が前提とされてきたこと、 (5) オスマン朝の疫病経験についての唯一のモノグラフが、ヨーロッパ中心の疫病史を内面化していること。著者は黒死病から 16 世紀末までを対象とし、オスマン朝における疫病の経験を三段階に分けて明らかにする。オスマン史における「長い 16 世紀」とも一致するこの時期は、オスマン朝の勢力拡大で知られるとともに、疫病の基本的な感染経路が明確になる時期でもある。この時期には、疫病に対するオスマン朝の認識・対応の重要な変化を見出すことができる。史料は、 オスマン政府文書、医学書、聖人伝、旅行記等であり、近年の科学的研究の成果も参照する。 第一段階 (1453-1517) は、第一波 (1466-76) ・第二波 (1491-1504) ・再発期 (1511-14) に分けられる。まず時間幅について。第一波・第二波は 10 年あるいはそれ以上継続するのに対し、再発期における流行は短い。次に当初の発生地について。第一波は陸路、第二波は陸海路両方を辿り、西方からオスマン領へと拡大した。再発期は黒海周辺から発生し、新たな流行パターンの登場が示唆される。最後に感染拡大の様相について。第二波では第一波で史料上に発生の言及がないアナトリアでも拡大し、シリア・エジプト へ/からの中継点になった。第一波・第二波ともにオスマン帝国と他国との戦争があった時期と感染拡大時期が一致する。エディルネ・ブルサ・イスタンブルといった都市の発展、それにともなう交易とコミュニケーションネットワークの発達は、辺境から人々を常にひきつけ、疫病の定期的流行をもたらした。