パンデミックのグローバル史資料整理1:


Guido Alfani (Translated by Christine Calvert), Calamities and the Economy in Renaissance Italy: The Grand Tour of the Horsemen of the Apocalypse, New York 2013(原著は2010.

 

ここでは同書につき、疫病発生に関する表・グラフの掲載ページと日本語による解説を行う。


①付録(p. 176-177)の年表、「イタリアで発生した主要なペストと飢饉(1470-1627)

ペストによる被害が特に深刻であった主要な都市名の併記あり。諸都市のリストは次の文献に基づく。Del Panta(1980: 118)。以上、注記より。下の表(Fig.1)の作成に使用。

 


           Fig.1 15~17世紀イタリアにおける疫病発生
             の時期と都市


②表3.1 (p. 91 )、「San Carloのペスト(1575-1577) 都市の死亡率」

都市名と死亡率(1000名あたり)、人口が記載される。(データは著者のデータベースより)。

著者によれば、先行研究(Corradi(1973)Beloch(1994))より、疫病発生前夜の人口が推計でき、それに基づいておおよその死亡率が算出可能。その結果が表3.1。この表からは、San Carloのペストが、被害の深刻な都市では、北部イタリアで最後の大規模ペスト(1629-31)に匹敵する死亡率(30%超)であったことがわかる。

 

③図3.1 San Carloのペスト(1575-1577):出生率の低下」(p. 92、本文記述はpp. 91-93)

出生率の低下から、人口の危機的状況を5段階に分けて、地図上に示す。埋葬に関連するデータの不足のため、死亡については傾向を測定できず。マップは、San Carloのペストが比較的限定されたエリアに限られたことを確証する。続いて地域的な差を詳述。結果、都市の疫病であったこと。地方には広く浸透せず。

 

④図3.2 1585年のペストに対応したイヴレーア市Ivreaの支出

支出の費目と額が記載される。資料はイヴレーア市立歴史文書館所蔵の「疫病期間の公的な利益のために費やされた額の一覧」。

イヴレーア市のあるサヴォア公国は、1580年代にペスト及び1598-99年にフランス由来の疫病の影響を被る。イヴレーア市では、1585年のペストの影響が深刻。巨額の公的支出が必要に。(なおサヴォア公国イヴレーア市は、トリノやピエモンテ西部と同様に、1570年代のSan Carloのペストを免れていた(イタリア北西部、図3.1では左中央付近))。

・イヴレーア市のペストの概要

1585826日に発生、翌年310日終息。2000名の死者、死亡率は1000名あたり444名から666名か。洗礼記録を基に推計。当時イヴレーア市は埋葬を記録せず。

 

⑤表 5.2 から5.9

主に洗礼記録を基に、出生数及び死亡数の変化を表で示す。北イタリア、都市部、地方部、両者の比較、地域、世代別。対象時期は、主に16世紀半ばから17世紀。


河合竜太

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