パンデミックのグローバル史資料整理3:
Dean Phillip Bell, Plague in the Early Modern World: A Documentary
History, New York 2019.
同書にみえる疫病発生に関する表・グラフの解説を行う。
Table 1.1 17・18世紀の死亡率、西ヨーロッパの主要都市(26頁、本文記述は25頁)
情報は複数の研究や一般的概説に拠る。Encyclopedia
BritannicaのPlagueの項目を含む。表の記載はペスト発生年、人口、ペストによる死者数、死亡率(%)。
なお挙げられる都市は以下。リオン、ミラン、ヴェローナ、ウィーン、バルセロナ、ナポリ、ジェノア、マルセイユ、メッシーナ。
Table 1.2 16・17世紀のペスト流行年におけるロンドンの死亡統計(26頁、本文は25頁)
情報は複数の先行研究に基づく。表には発生年、全埋葬者数とペストの埋葬者数、人口比の死亡率(%)の記載。発生年は、1563, 1578, 1593, 1603, 1625, 1636, 1665。
Table 1.3 17世紀の主要なペスト流行期のアムステルダムの死亡率(26頁、本文は25頁)
情報は複数の先行研究に基づく。ペスト発生年、人口、死者数、千名当たりの死者数。
Figure 1.1 1655年の月別死亡者数、ライデン(26頁)
棒グラフで示される。単一都市の短期間(月別)死者数を跡付けることで、疫病の進行に関する洞察を得ることが可能。表は夏(7月-10月)の死者数の上昇を示す。
Figure 1.4 フランクフルト・アム・マインのペスト統計(1622-40)(42-43頁)
(及び、別表として同市のユダヤ人の死亡者数)、情報源はいずれも先行する研究文献。
同市は近世の経済拠点。年別死者数を折れ線グラフで図示。1625年(本文記載は1627年とある)、1632年、1634-37年の流行時に死者数が上昇。
別表は、ペストが同市のユダヤ人共同体に与えた影響を示す。中近世ヨーロッパでペスト流行の責任を帰せられたユダヤ人もペストの影響を大きく被っていたことを示す。
ペストの周期的流行が社会構造と経済の弱体化を招く。小流行時には、各自治体は早期に原状復帰。しかし自然災害や戦争が絡むことで、自治体は長期的ダメージを受ける。
Table 1.9 1770/71年中国の主要なペストの発生(58頁、データはMichael Liuによる)
近世中国は多くの疫病を経験。ペストもその一つ。第2次パンデミック期の最初の発生は中央アジアで記録され、14世紀に中国の一部を襲う。近世中国の疫病史は研究途上。
表は、18世紀後半に中国の広範囲でペストが発生したことを示す。ただし、ペストとその他の疫病の区別は困難。70/71年の流行は中国北部で、同時期のロシアを襲った疫病と関連している可能性あり。
表(46-48頁)、17世紀初頭のペスト死者数の週別記録、ロンドン
ケンブリッジ大学植物学者Richard
Bradley(1688-1732)のThe Plague at Marseilles Consider'd(オンラインありhttp://www.gutenberg.org/ebooks/31807)の紹介。
週単位の埋葬者数(トータル数とペストのそれ)を記録している。本書は二回のペスト流行(1592, 1603)の表のみ掲載するが、原著には1625, 1630, 1636, 1665の表あり。
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